2025年 年間標語 年間標語「強く、雄々しくあれ」(ヨシュア1章1~9節)
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『ゆとりある生活を練習しています』 牧師コーナー(821)
日本語に「もったいない」という言葉があります。その意味は、物の価値を十分に活かせない状態を惜しむ表現だと理解しています。さらに言えば、物を粗末に扱うことを嘆き、資源を大切にするという、日本の古くから伝わる精神文化でもあるそうです。
私は、少年時代に家の火災を経験し、経済的に苦しい時期を過ごしたため、「節約は美徳だ」と考えて生きてきました。そのせいか、日本のこのような精神文化を美しく感じ、深く共感しています。食べられない人々のことを思えば、食事を残したり捨てたりすることはありません。車にガソリンを入れるときも、たった1円でも安い場所を探して行きました。近くの自動販売機を使うよりも、安く売っているスーパーに寄って飲み物を買うことに不便を感じませんでした。そんな生活を続けるうちに、自分の人生には「ゆとり」が少ないと感じるようになりました。
「神の国のために、また隣人のためには惜しみなく使いなさい。しかし自分のためには倹約しなさい。」そのような母の教えの中で育ったからだと思います。けれども振り返ってみると、神様に捧げるときは最善を尽くしてきたつもりでしたが、隣人のために惜しみなく与える生活はあまりできていなかったように思います。
それで最近は、「ゆとりを持って生きよう」と考えを変えました。実際、ゆとりとはお金を多く使わなくても楽しめるものです。できるだけ高いものは買わないようにしていますが、どうせ買うなら長く使える良いものを選ぶようにしています。お腹がいっぱいになったら、食べ物を残すようにしています。ガソリンも少し高くても、便利な場所で入れるようにしています。おいしそうな果物があれば、たくさん買って一緒にいる人たちと分けて食べようと思います。
使徒パウロはこう言いました。「私がこう言うのは、貧しいからではありません。私はどんな境遇にあっても、満ち足りることを学びました。貧しく生きることも、豊かに生きることも知っています。満腹のときも、飢えているときも、富んでいるときも、貧しいときも、どんな場合にも適応する秘訣を学びました。」(ピリピ人への手紙 4章11〜12節)
お金がなく貧しさを感じるときにも、神の守りに感謝しながら生きること。そして少しゆとりのある豊かさを感じるときには、その恵みを楽しみながら生きること。それこそが真のキリスト者の自由な生き方だと思います。だから私は、ゆとりある生活を練習しながら生きていこうと思います。もし私と食事をご一緒したい方がいれば、いつでもご連絡ください。ただし、私の時間に合わせてくださるようお願いします。
私は、少年時代に家の火災を経験し、経済的に苦しい時期を過ごしたため、「節約は美徳だ」と考えて生きてきました。そのせいか、日本のこのような精神文化を美しく感じ、深く共感しています。食べられない人々のことを思えば、食事を残したり捨てたりすることはありません。車にガソリンを入れるときも、たった1円でも安い場所を探して行きました。近くの自動販売機を使うよりも、安く売っているスーパーに寄って飲み物を買うことに不便を感じませんでした。そんな生活を続けるうちに、自分の人生には「ゆとり」が少ないと感じるようになりました。
「神の国のために、また隣人のためには惜しみなく使いなさい。しかし自分のためには倹約しなさい。」そのような母の教えの中で育ったからだと思います。けれども振り返ってみると、神様に捧げるときは最善を尽くしてきたつもりでしたが、隣人のために惜しみなく与える生活はあまりできていなかったように思います。
それで最近は、「ゆとりを持って生きよう」と考えを変えました。実際、ゆとりとはお金を多く使わなくても楽しめるものです。できるだけ高いものは買わないようにしていますが、どうせ買うなら長く使える良いものを選ぶようにしています。お腹がいっぱいになったら、食べ物を残すようにしています。ガソリンも少し高くても、便利な場所で入れるようにしています。おいしそうな果物があれば、たくさん買って一緒にいる人たちと分けて食べようと思います。
使徒パウロはこう言いました。「私がこう言うのは、貧しいからではありません。私はどんな境遇にあっても、満ち足りることを学びました。貧しく生きることも、豊かに生きることも知っています。満腹のときも、飢えているときも、富んでいるときも、貧しいときも、どんな場合にも適応する秘訣を学びました。」(ピリピ人への手紙 4章11〜12節)
お金がなく貧しさを感じるときにも、神の守りに感謝しながら生きること。そして少しゆとりのある豊かさを感じるときには、その恵みを楽しみながら生きること。それこそが真のキリスト者の自由な生き方だと思います。だから私は、ゆとりある生活を練習しながら生きていこうと思います。もし私と食事をご一緒したい方がいれば、いつでもご連絡ください。ただし、私の時間に合わせてくださるようお願いします。
趙 南洙師
